クリスマスの夜に・こんばんは。リフレーム・カウンセリングルームの平野なおみです。
北海道の大規模停電は復旧したでしょうか?オホーツク方面にもクライアントさんが複数いらっしゃるので、昨日から情報を得るのに検索して見ていた私です。
冬本番の北海道。今シーズンはくれぐれもお手柔らかにお願いしたいです。
さて、今日はコミュニケーションや境界線について考える機会があったので書いてみたいと思います。
実は少し前に、少し悲しくなるようなコミュニケーションがありました。
相手の方におそらく悪気はなく、むしろ私の方がもしかしたら不注意だったのかもしれませんが、それにしたって「その言い方は悲しいな」と感じる出来事でした。
伝えられた直後の私の反応は、一瞬、呼吸をひそめ、身体は硬くなり、自分の耳を疑いながら「ぽか~ん」とし、何が起こったのか飲み込めずにいました。
そのまま無表情で頭を下げて謝罪しましたが
同時に「え~っ?私そんなにダメだったの~?」「この年でこんな事言われてる自分って本当に駄目だよね・・・」と落ち込んだ半面
「それにしたってあんな言い方しなくても~っ」「ムカつく~っ」ってな感情がグルグル駆け巡りました。
私は怒りを感じた時には、おでこの辺りが熱くなる感覚が湧くのですが先日のその時もそうなっていたかもしれません。(自分では前頭葉近辺が熱くなるのが怒っている時の私のサインと認識しています。余談でしたww)
コミュニケーションには「バーバル(言語)とノンバーバル(非言語)」がある
さてさて、コミュニケーションにはバーバル(言語)とノンバーバル(非言語)があるよ、と言われています。バーバルは、「言葉で伝えるコミュニケーション」ですね。対してノンバーバルは「言葉以外で伝えるコミュニケーシ」です。
例えば、言葉では「私は怒っていません」と言い切っている方が、ノンバーバル「言葉以外の言語」では「めちゃくちゃ眉間に皺を寄せて怒っている表情をされている」とします。
何なら吐き捨てるような溜息混じりで去っていかれ、ドアを思いっきり閉めて行かれたとしたら、その方は明らかに怒っていると表明されているのがこちらにも伝わってくると思います。
このように非言語には、表情や仕草、声のトーンや口調、身振り手振りの動き方などがありますね。
次に、言語と非言語の比率についてです。話す方が、話される方に与える印象は「言語:7」「非言語:93」と言われています。
私はこの事を学んだ時に驚きしかありませんでした。「コミュニケーションって、言語で伝える事が100%」だと思っていたからです。
非言語 凄いですね。恐るべし数字!
前述の怒っていないと言いながら怒っていた方は、もしかしたらご自身の怒りに気付いていなかっただけかもしれません。「意識」上では怒っていないと思いながら「無意識」では怒っていた・・・とかね。これだと「悪気なく」になりますがこういった事も多いですよね。
バーバルとノンバーバルの違い過ぎる人、世の中に普通に沢山いらっしゃいますし、私も「自己一致した!」とまでは言い切れない時はまだまだあります。(ポリポリ^^;)
次に、私のケースではどうでしょう。「無表情で頭を下げて謝罪した」これって心から自分が悪いと思っていれば無表情にはなりませんね。
どこか納得いっていないけれども、自分が悪かったのかもしれないからそこは詫びよう。でも驚きの方が大きくて状況を把握できていないし、この言われ方は悲しいな〜。アイコンタクトで一瞬、申し訳ないとしましたが、でも基本は無表情 ←「私は何だか納得できてないけどさ」の怒りもちゃんと非言語で伝えられていますね 笑
(複雑な私の5秒間位でした)
でももう言われるのは嫌なので、決して同じ状況にはしないよう細心の注意を払うのを固く決めました。
「変えられるのは自分だけ」なのと「自分の今後のために境界線をしっかりと引く必要のある相手」だと言う事ですね。
色々な人がいていいと私は思っているので、勿論、その人の考え方や行動を尊重します。でも私の考え方は違うので反面教師にするぜ、と捉えています。この機会に感謝とも言えますね。
以前の私であれば「自分の自信のなさから」もっともっと落ち込んだり、怒りがわいたりしていたはず。短い時間で平常運転できるようになったのはカウンセリングやタッチセラピーで扱ってきたからこそ。
以前の私であればもっともっと引きずって、「あ~でもない・こ~でもない」と頭の中がその事で一杯になってグルグルしていたと思います。
なんなら、三日くらいはドロドロした感情が続いていたと思います。(今回も一日位はふとした時に思い出していましたが、そんなにドロドロとはしていませんでした)
以前の私は、涼しい顔をしながらニコニコ仮面の下では、、、①自分はなんてダメな人間なんだ(罪悪感・自信のなさから来る自己卑下)②あんな言い方しやがって!(怒り)この超豪華二本立ての人生でした
三日位はかかりそうなパニパニした神経系や感情を、短い時間で「自分・もう大丈夫」に戻ってこられるようになったのは、カウンセリングや心理療法やグループ療法で①と②の自分のテーマ・課題を沢山(散々)扱ってきたからだと思います。
自律神経系などの神経生理学的に考えると、自分の許容範囲を超えてしまった①や②の状態に伴う「ドキドキ・前頭葉熱い感じ!・肩や腰に力が入る・頭真っ白けでマヒさせてポカンとする」な感じで居続けるのが短い時間で済むようになり、自分の自律神経を調整する力で平常運転に戻って来られた
または、「トラウマ体験などで狭くなってしまっている許容範囲自体」が、自律神経を調整していくサポートであるタッチセラピーを受ける事で広くなってきている事による変容だと考えています。
大きな大きな変化です。この方が断然生きやすいですもんね。
それからもうひとつ。
以前の私は「怒りの感情のコントロールが効かない」事に困っていました。誰彼構わず・いつもいつも怒っている人と言うのではなく、自分の大切な相手に対して怒りを感じる・・・。
(愛着障害をもつ方には多いと思います。「夫婦喧嘩と言うコミュニケーションの持ち方」「パートナーにいつも怒りを向けるコミュニケーションをどうやら持っているようだ」・・・などなどでお困りの方は、関係性を良くしていく目的で夫婦カウンセリング・カップルセラピーを受けられてみるのもいいと思います)
怒りの感情の下(根っこ)にあるのは「悲しみ」 いつも怒っている人はそれだけ悲しみが深い(大きい)人
この事をセラピストになる為の学びの場で知識として知った時、今から15年近く前とかでしょうか・・・、ほぼ半信半疑な私でした。
自分には悲しみなんてない、と当時は固く思い込んでいましたのでね・・・。
怒っていれば、その根っこにある悲しみを感じなくて済むと言うメリットがあります。「自分に起こっている事は全て役に立っている事」ですもんね。そうやって自分を保っていたんですね。←(「けなげなげ」な私)
私の持っていた「怒り」と言うテーマ(課題)についてもセラピーやグループ療法で散々、扱ってきた結果、今では何か頭にくることがあると
「あ~、私いま下の方では悲しんでるんだな・・・」と感じられるようになってきています。
(この時に役立つのが私の「前頭葉熱くなってるよのサイン」)
根底にある自分の本当の感情に気付けると、腑に落ちて自分自身や置かれた状況を冷静に捉える事ができていきますね。
トラウマの渦中にずっと居続ける事から脱する事が少しずつできていくと、これはメンタルの安心や落ち着きに繋がります。
身体の方からのアプローチであるタッチセラピーでは、言語によるセラピーでは扱えない、理由の分からない不安や恐怖感なども、話さなくても深~く扱っていけますしね。
「怒りと悲しみは同じ量だけあるよ」と習った事に深く納得できている自分がいる
人には、「悲しみ優位の方」と「怒り優位の方」とがいらっしゃいます。麻痺させてしまって何も感じない方もいらっしゃいますが、それも無意識で自分で自分を守るのに役立っている事と言えますね。
それだけ、傷付き体験が深かったり、大きくなくても何十年に渡り長く続いていたり、短い期間でも外傷体験が多くあったのかもしれません。
私とは逆に、「悲しみ優位」の方は、根底には怒りがあるとされていますので、その感情も少しずつ扱っていかれると生きにくさから回復されていかれるのに役に立つかもしれませんね。
もちろん、一気に回復していく事は私は難しいと考えていますので、スモールステップで・無理なく・準備が整ったら・螺旋階段を上るように・・ですよね。
カウンセリングやセラピー(心理療法)、タッチセラピーは「セパレートしてしまっていたこころとからだが繋がっていったり」「自分が自分とうまくコミュニケーションを取れるようになって自分と仲直りができたり」「楽に生きられるようになっていく」為のケアやサポートを受けられる場所です。
結果として、ご家族やパートナー、友人、職場の人間関係などのコミュニケーションの持ち方にも変化があると私はセラピストとしても、また自分の経験からもそう思っています。
釧路・札幌のカウンセリング・心理療法 ☘リフレーム・カウンセリングルーム☘ 心理セラピスト 自律神経の調整タッチセラピスト 平野なおみ
「子どもの扱い方学習会」は、毎回、様々なコミュニケーションスキルについても学べる場所です。
カウンセリングや心理療法の主な相談内容はこちらです。