こんばんは。リフレーム・カウンセリングルームの平野なおみです。
先日のお休みに音別町の森の中に行った時に、薄い青色にも見える雪虫がふわふわと舞っているのを見付けて、季節の移ろいをうっとりと感じてきた私です。
ただしその直後に大量に飛んでいるのも発見して、夢心地は一転。以前、札幌で鼻の中に雪虫が(たぶん)入ってしまった経験を持つ私は^^;
こりゃ~、外出時はマスク必須だなと思った次第でした。(あれ以来、右鼻の鼻炎が悪化したままなんです)
こちらを訪れて下さっている皆様は、いかがお過ごしでしょうか?(釧路市内はそんなに大量に舞っている訳ではないと思います←まだ雪虫の話しているww)
さてさて、今日は(も?)私事でございます。
実は、先月末は私の祖父の命日でして、じいちゃんにと花を買って帰りました。私が(たぶん)5歳の時に亡くなっていますのでちょうど50年経ったという事になります。
白いバラが欲しくて、花屋さんを二軒周ったのですが無くてですね。二軒目で少し妥協する選択をし、薄いオレンジ色の小ぶりのバラを買ったのですが大正解。今も私のデスクの前で綺麗に凛と花開いてくれています。
50年経っても、こうやって孫に思い出してもらえる祖父はとても幸せ者だと私は思っています。
逆を返せば・・・になりますが、私は子どもの頃から「死」に対して過剰な怖れや不安を持っていた子どもであった側面も持っていたと思います。
経験した事のない「死」に対して、そして誰も答えを持っていないような事に対して子どもが不安に感じてしまうのは自然な事でもあるとは思いますが
皆さまはいかがでしょう。似た経験はありますか?
「愛する人との死別というお別れ」カウンセリングの中では悲嘆を感じたり一緒に涙を流したり生きると言う意味を一緒に考えたりもしていきます
死別には、大往生でのお別れもあればそうではない突然のお別れもありますね。突然ではなくても長い闘病の末にお別れされた方もいらっしゃると思います。
事故や犯罪被害などに遭ってしまって、突然会えなくなってしまった方も中にはいらっしゃると思います。
同じように、語られにくい死別として自死もありますね。
自死とは、「自殺と言う事故でなくなってしまった方」を一番、責めない言葉の表現とされています。
肉体が見付かっていない「曖昧な喪失」と言われる体験をされている方もいらっしゃる事と思います。
流産や中絶、死産など本当にお母さんが参ってしまうのが当然と言えるお別れもありますね。
どのお別れも故人を思う気持ちが強ければ強い分だけ、残念で悲しい出来事だと思います。
遺された人に後悔が残ってしまうのもよくある事と思います。
自分があの時、ああしていれば。または、ああしていなければ違う結果になったんじゃないか?というようなご自分を責めるお気持ちもよく抱いてしまうものだと思います。
私は心理の専門家として「見送る側・遺された方」の「心のケア」がとても必要と考える立場です。
私はたまたまアメリカ式の臨床心理学を教育ベースに持っているのですが、例えばアメリカではクライアントさんがペットとの死別があった時に、セラピストは後追いの可能性も視野に入れて関わるのが常識だよ、と習いました。
日本ではどうでしょう。一般的には、まだまだ「たかがペットでしょう」と言う捉え方を持つ方が多いのかもしれません。もちろん善し悪しではなくてです。
話しは変わります。
もう10年以上前だと思いますが、以前、私が精神科医の先生のWSに参加した時に、人目もはばからずに大号泣した事がありまして、その光景を今でも懐かしく鮮明に覚えています。
その精神科医の先生が精神療法を行うグループカウンセリングの中で話された事は
「死にはふたつありますよ。ひとつは”肉体の死”。それから遺された人たちが全員亡くなってその人の事を思い出す人が誰もいなくなった時が”その人の本当の死”ですよ」
というような事を仰いました。もうここで私は大号泣でした。そんな考え方があるのかと嬉しい気持ちと一緒に、自分の中にこんなに「語られなかった悲しみや涙」が詰まって(溜まって)いた事を初めて実感できたWSでした。
死別から何年も経っていたにも関わらず、悲しすぎて直面できない、言葉も出ない、または出来事や現実に圧倒されてしまっていて涙も出ませんでしたから。
まだ子どもが小さかったので、子どもの前ではしゃんとしていなきゃの気持ちも働いていたと思います。
駄目な事ではないですけども「流すべき涙を流せなかった」「悲しむべき悲しみを感じられなかった」という事になりますね。
これではトラウマとして残ってしまっていたのも不思議ではありません。
WSの時の話しに戻りますね。
私にも「語りにくい死別」がありました。原家族(げんかぞく・生まれ育ったかつての家族)の中では話さないので今もある、とも言えますね。
私だけではなく自死によって遺された方々にはこういった想いは少なからずあっても不思議ではないと私は思っています。何十年経っていても・・・ですね。
職業柄もあり、私は話してもいい安全な場所と安全な相手を持っていますので、何度も何度も自分の言葉で絞り出すように語ってきました。
受けてしまったトラウマは残念ながらゼロにはならないのですが、トラウマを扱うWS(グループ療法)でも何度も扱ってきましたので、その悲しみに翻弄される事はなくなっています。
似た経験をした仲間と沢山、出会えた事もとても大きな癒しと自分の人生の財産になっています。
上の世代のトラウマや不安は、下の世代に連鎖されやすいと言われています。私が死別のグリーフケアを受ける選択をした事。ここはひとりの母親としても賢明な選択だったと思っています。
不安やトラウマを下の世代に垂れ流さなくて済みます。垂れ流された方がどんなに大変かは身をもって知っていますので。
大学の授業で「死生学」を選択したり、グリーフケアについて定期的に学んだり、僧侶や葬祭業、医療現場の方のお話を聴かせていただく機会のある研修に今でも時間を作って参加しています。
2012年からカウンセラーとして活動をさせていただき、沢山のクライアントさんが経験された「大切な人との死別」についてお話を伺ってきましたが、
本当の意味で「自分はその悲しみに寄り添ってこられているのか?」の自問自答の想いを少なからず持っているからです。
かつての死を過剰に怖れ不安を抱いていた幼かった私と似たような環境に育ち、不安を抱えたままのクライアントさんも少なくありませんので、より良いサポートをさせていただく為の自己研磨は生涯、続きます。
カウンセリングや心理療法の中では「死別というお別れや生きていること」についてじっくりと一緒に考えていきます。
その答えは本人の中にちゃんとあります。時間はかかってもカウンセラーは斜め少し後側辺りの立ち位置で伴走させていただきます。
「お別れした人への感謝の気持ちを自分のチカラに変えていく」という生き方
最後に
精神科医の先生がその時に仰った言葉の続きがあります。
「故人への感謝の気持ちを自分の力に変えていくんですよ」
この言葉を聴いた時に、またまた大号泣だった私です。この涙の分(量)だけ自分にとって大切な相手だった・・・(死因について)本当はこんな別れ方はしたくなかった・・・残念過ぎたよ・・・それでも、ありがとうと思えている
という事に気付けた後で、そんな生き方があるんだな、だったらそうしていきたいと一筋の光に思えました。
あれから十数年。故人への感謝の気持ちを自分の力に変換して私はこのお仕事をさせていただいています。
私の元を訪れて下さる方の中に、ひとりでも「色々あったけど生きていて良かった」と思える方がいればそれで十分、私の持つ死別による悲しみの経験や故人への感謝の気持ちが誰かの役に立ったという事に繋がります。
今年ラストの「大切な人を自死でなくされた方のためのグループ」は11月11日㈯の開催です。必要を感じられる方はご一緒しましょう!
それでは、また
*こころとからだのケア* リフレーム・カウンセリングルーム 代表/心理セラピスト/ 平野なおみ
11月の深夜に、いつものジブリ映画音楽のYouTube・デカフェの珈琲と加湿器と重くなりがちなPCと共に。まる猫君はくるんと丸くなって温かく寝ています。
所で
50年前に肉体の死を迎えた私の祖父は、まだ本当の死を迎えていないという事になりますね。私が毎年こうやって思い出していますから。人って凄い。
季節の変わり目、今年は特に新しいクライアントさんが沢山来られています。カウンセリングのご予約の空き状況については11月の3週目以降ですと入れる日もまだ残っています。
もし日程変更があった時には、入れる枠が急に空く事もあります。ご希望される方は連絡してみてくださいませ。